秋の中央アルプス撮影旅

中央アルプス秋季の取材。

2009年における中央アルプスの秋は、比較的に早く訪れ、シルバーウィークの5連休は、数多くの山岳ファンや観光客などで賑わったようです。
しかし紅葉には少し早く、私は連休後の25日に入山した。

雲と紅葉と宝剣

駒ヶ根高原から駒ヶ岳登山バスに乗り、ロープウェイ山麓駅の「しらび平」でゴンドラに乗り換え、中御所の谷を眺めつつ千畳敷に到着。

千畳敷は地名が示すように広大な窪地が広がっている。標高は2600㍍、森林限界に位置することもあって、秋は様々な紅葉をまとって迎えてくれる。

ナナカマド(和名は七竈)は硬木であり、そのために竈(かまど)で何回燃やしてもなかなか燃焼しない、真紅の紅葉をまとうことで有名。
岳樺(ダケカンバ)は白樺(シラカバ)の高山種、寒冷な気候に育つので造形的、こちらは黄葉をまといます。この両者が千畳敷における秋の主役といえましょう。
わき役には、澄み切った青空と湧き上がる雲、それに西側背後に屹立する宝剣岳といったところでしょうか。

千畳敷駅を出てホテル千畳敷の東側出入り口から千畳敷へと降りた。剣ヶ池はわずかに水を称え、そこからさらに北側へと進んだ。

ナナカマドが数本立っていて、その前に三脚を立てた。

造形的な雲の出現を待つこと30分、鋭い穂先の宝剣岳の裏側から高層雲がやってきた。
紅葉と峰、それに青空に湧く雲とのバランスを考慮しながら構図を創った。

縦、横、あるいは画面を広くしたり、狭くしたりと様々に可変しながら作画。

これは意識するのではなく、無意識に体や手が動いてしまう、といった感じである。
心の向くままにレンズを被写体に向け、まるで瞬きをするようにシャッターを切ってゆく。

写真を始めたころは、ファインダー内をくまなく見、余分なものが写りこんでいないか吟味し、主役と脇役の画面構成、太陽による光と影のバランス、あるいは様々な色の組み合わせといった色彩効果、これらを相乗的に計算して構図を作ったものだ。
1枚創るのに随分と時間がかかったものだ。瞬時に構図の決定ができるようになったのは、それから10年の歳月を要した。
それを35年間、続けているので被写体に出会っただけで、構図をどのように創ったら的確に表現意図とオーバーラップできるのか、それが可能になったのでしょう。

秋は、もっとも色彩効果が得られる季節、紅葉の紅や黄色、それに青空やハイマツの緑色といった自然界の色を組み合わせ、それらを巧みに対比させることが大切なポイントとなります。

剣ヶ池にいったんもどり、千畳敷の中ほどを西へと向かう頃から雲が天空を支配し始め、またたく間に、雲が太陽を遮ってしまった。
わずかに1時間ほどの撮影チャンスだった。

十数年振りの鮮やかな紅葉に出会えたことに感謝し、撮影を終えた。


ふたたび千畳敷に降り立ったのは10月1日。

前回の山行からわずか6日経っただけなのに、剣ヶ池周辺の紅葉はすでに色褪せていた。そこで剣ヶ池から西へコースを取り、ほぼ中央を宝剣岳の真下へと向かった。夏なら高山植物が左右に咲き競う区間だ。

100㍍ほど進んだ先に、ダケカンバが数本立っていて、目に眩しいほどの黄葉が輝いていた。林床には紅色が際立つナナカマドと、青々としたハイマツが生えていた。ここでは広角、標準、中望遠と様々なレンズを駆使して作画を楽しんだ。

ダケカンバの背後に屹立する、サギダルの頭と宝剣岳を左右に組み立て、あるいはサギダルの頭の三角錐のみを黄葉の背後に構図を創ったりした。
雲はひとつもなく、澄み渡った碧空という言葉がぴったりの空だった。

八丁坂の基点で千畳敷駅からのトラバース道と合流し、乗越浄土へと急斜面を登った。
途中、振り返り見ると、伊那の谷が雲海にすっぽり覆われ、南アルプスがそれに浮かぶように黒々と横たわって見えた。

乗越浄土の真下は、オットセイ岩とカミソリ岩が左右に競うように立ち、草紅葉が彩りを添えていた。中央アルプスの特徴のひとつ、巨大花崗岩の山塊群を証明するように、白い岩肌が露出し、鋭い岩峰群をさらに際立たせていた。

この風景を撮影するには露出のコントロールが写真の是非を決める。具体的には、フィルムに与える光の増減がカギを握るのだ。これはアナログカメラに限ったことではなく、デジタルカメラでも同じことが言えよう。

乗越浄土からは左に折れ、宝剣山荘前の分岐を右に折れた。このコースは駒飼ノ池から濃ヶ池へと延びている。いったん下り着いた平坦地は、駒飼ノ池と呼ばれる一条の流れが見られるだけの名ばかりの池。

昔、中央アルプスの主峰・西駒ヶ岳に、身の丈八尺に及ぶ白髪の神馬が棲んでいて、その馬が、この水を飲みに現れるという言い伝えによって駒飼ノ池の名が生まれた。

この神馬は、竜にも化身でき自在に天空を駆けることができたと言われる。

伝説によると、この神馬を大和朝廷に献上し、あの日本武尊がこの馬に乗り、草薙剣を手に、縦横無尽に大地を駆け、熊襲や蝦夷を征定したというのである。

日本に文字が伝わって最初に書かれた書物のひとつ古事記によると、日本武尊(ヤマトタケルノミコト、古事記では倭健命)は、景行天皇の皇子として生誕した小碓命(オウスノミコト)を指します。

天皇は、朝の食事に顔を出さない兄に顔を出すよう小碓命に命じた。小碓命は兄を捕らえて手足をもぎ取り、薦に包んで投げ捨ててしまった。

天皇は、小碓命の激しい強靭振りをみて西の熊襲(クマソ)の征定を命じた。

小碓命は姨(おば)の倭比売(ヤマトヒメ)の御衣(みけし)・御裳(みも)を給わり、剣を懐に入れて任地へと向かった。
小碓命は女装して熊襲の家の御室楽(みむろうたげ)に乗じて忍び込み、宴たけなわのとき熊襲健(クマソタケル)を刺し、弟も組み伏せてしまう。
弟は小碓命の武勇におののき、倭健命(ヤマトタケルノミコト)の名をたてまつったという。

倭健命は征討の帰路、山の神、河の神をことごとく平定し、出雲の国の出雲健(イズモタケル)も滅ぼし大和へ帰還した。

父の天皇はその武勇を恐れ、ふたたび東方十二道(ひがしのかたとおまりふたみち)の荒ぶる神や、天皇に屈せぬ人たちの征定を命じた。

倭健命は伊勢の大御神宮(おおみかみのやしろ)に立ち寄り、倭比売に別れを告げ、比売から草薙剣(くさなぎのけん)と御嚢(みふくろ)を給わり、尾張では国造の祖(みやお)、美夜受比売(みやずひめ)に会い、還ったら婚(めあい)をすることを誓い東国へ下っていった。

倭健命は、相武(さがむ)の国の焼津(やいづ)で、その地の国造に裏切られ、野火に攻め立てられたが、草薙剣を抜いて草を切り払い、その難を逃れた。
さらに東へと向かい走水(はしりみず)の海を渡ったとき、暴風雨に見舞われ、落命するところを妻の弟橘比売(オトタチバナヒメ)が身を海に献じて海神の怒りを和らげた。

倭健命はこうして荒ぶる蝦夷を征定し、足柄から今の山梨県に出て、南アルプスの北方・鋸岳と甲斐駒ヶ岳の鞍部を登り伊那市長谷の戸台赤川原に降りた。

地元民の悲痛の叫びを救おうと、大蛇(おろち)と格闘の末、見事に首を取った。
戦いの後は、大蛇の血で真っ赤に染まり、そのことが赤川原の地名を生んでいる。

さらに倭健命は、駒ヶ根市の大御食神社で、地元民の大歓迎を受け、美しき女性の舞や美食の宴にしばしの休息をとったという。

尾張(おわり)にもどった倭健命は、約束通り美夜受比売との契りを果たすのだが、草薙剣をそこに置いて旅立ってしまう。

そのころ倭健命の体はいたく衰え、ついに能煩野(のぼの)でそのはかない生涯を終え、倭健命の魂は美しい白鳥となって天にのぼっていった。

古事記には要約するとざっとこのように書かれています。けれども日本書紀には、所々異なっていて、その名も日本武尊となっています。

いずれにしても大和朝廷の命令によって遠方の熊襲や蝦夷の征討に向かった将軍たちが、
命を懸けて闘った数々の武功が、
一人の英雄・倭健という大和朝廷の勇者を生み出したものであろう。
そしてそれは長い歳月の間にヒーローとして形象化されていったのでしょう。


このような日本神話を思い出しながら、駒飼ノ池周辺を撮影し、伝説の池・濃ヶ池へと向かった。
途中、沢を何ヶ所も渡り山腹をトラバース(横移動)、ダケカンバ、ナナカマドといった
紅葉の鮮やかな木々を見つつモレーン帯に出た。

1㍍~5㍍にも及ぶ岩が広大に積みあがった場所で、氷河時代の末期、氷河が後退するときに周囲の山腹が削られ、その産物が溜まって出現したのがモレーンである。

濃ヶ池カールの紅葉


圏谷・濃ヶ池は、ちょうど紅葉のただなかで、これでもかとばかりに色づいた木々たちが
目に鮮やかだった。

1時間ほど様々な作画を堪能し、昼食を摂った。
その後、湖畔の大きな石の上で、ごろ寝と洒落込んだ。

小春日和の太陽光が照りつけ、湖を渡る風がほほを心地よく撫でた。
好天は午後になっても珍しく続いた。

20分ほど横になった私は、ふたたび来た道を背に、西駒ヶ岳の本岳へと重いザックを背負った。

馬ノ背に合流する分岐では、3人組の青年に出会う。
彼らは、高山植物の生態系の調査をしていると言い、その調査研究員と学生さんだった。

しばらく登ると、馬ノ背と呼ばれる左右が切れ落ちた痩せ尾根の核心部に着いた。

三脚を立て、眼前に聳える本岳を撮影。

左下にはさきほどの濃ヶ池の圏谷も見えていた。

本岳から圏谷にかけての斜面には、紅葉の林が上下直線的に延び、それが幾筋も重なって山肌を形成していた。

太陽の逆光が木々を照らし、その影が手前に大きく伸び印象的だった。

そこからは急斜面が行く手を阻み、細かく左右に蛇行しながら高度を上げた。

いったん登りきると、露岩が数十メートルも折り重なった展望の効く高点だった。
私は呼吸を整え、ザックからボトルを取り出してお茶を一口飲んだ。

来し方を見ると霧が発生し、そこへ自分の影が出た。
強い太陽光線が私の背後から射し込んだのである。

すると虹の輪・光冠が私の影から現れた。急いでカメラをザックから取り出し、レンズを向ける。
雲の去来によって太陽はそのたびに遮られ、光冠は出たり消えたりを繰り返した。

虹が濃く現れる瞬間を狙ってシャッターを切った。

こうして珍しいブロッケンを撮影することができた。

ブロッケンは、ドイツ国にあるブロッケン山でよく現れる気象現象、その山名を取ってブロッケンと名づけられたようだ。光の冠のことで、虹のように鮮やかである。

翌日は悪天に激変すると、天気予報で確認していた私は、急いで山を降りた。
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たくましく生きる者の姿を。
厳かにして優しい大自然の表情を。
山岳写真家津野祐次と長谷アルプスフォトギャラリーのスタッフが綴る信州伊那市長谷にある、長谷アルプスフォトギャラリーの日記です!

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