信州諏訪の御柱祭を取材

信州諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)を観覧しました


御柱祭と愛称される「諏訪の御柱」は、「式年造営御柱祭」といい、
古から諏訪大社特有の神事として、今なお受け継がれる勇壮豪快な大祭をさします。

桓武天皇の時代、坂上田村麻磨が東夷征討の勅命を受け、その任務に当たりますが、
当代きっての軍神であった諏訪大明神のご加護によって、無事、その任を果たすことができました。
諏訪大明神に感謝を表す証に、式年造営の大行事を一国の総力を持って当たるよう、
信濃国の国司に勅命しました。これは諏訪大明神絵詞に記されています。

平安朝以来、信濃一国をもって諏訪大社式年造営が行われてきましたたが、時代の流れとともにそれまで課役を命じられていた宝殿、大鳥居、舞台、廊下、玉垣などの造営と、宝殿を主とする神域の四隅に、樅の大木を建てる一連の神事は、奥山から切り出す大木(御柱)を、曳行・建立する祭事を主とする大祭へと縮小され、諏訪近隣市町村地域住民の誇りとして御柱祭が受け継がれてきたといいます。

造営と遷宮などの諸神事は神社の内部的行事とし、御柱の曳行・建立などの神事は、広く一般住民の多くの労力が必要であったため、住民主体の祭りとなったのでしょう。

御柱祭の一連の行事は、まず3年前あるいは2年前の「御柱見立て」の仮見立てから始まり、前年には「伐採」が、その後、御柱の当年(7年ごとの寅・申に当たる年)に「御柱抽籤式・御柱曳行分担決定報告祭」が行なわれ、「綱打ち」を経て、「山出し祭」と呼ばれる、豪快な神事が行われます。
これはまず、上社の場合、綱置場から宮川の畔の御柱屋敷までの曳行をさします。「木落とし」、と「川越え」が見せ場です。


2010・川越え宮川jpg


一方、下社は、棚木場から注連掛けまでの曳行が山出し祭で、高さ100㍍に及ぶ、木落とし坂を、勇敢な選びぬかれた若者が数人またがり、土煙をあげて曳き落とします。
これは数十万人の大観衆が万雷の拍手と大歓声をあげる山出しのクライマックスです。


木落し


大社に建っていた御柱を撤去する「古御柱休め」、そして山出し祭から一ヵ月後のゴールデンウィークには、「里曳き祭」と「建て御柱」の華やかな行事を行い、「式年遷座祭」で幕となります。

私は、生まれて初めて山出し祭を今年、拝見しました。

上社は宮川の畔で川越しを、下社は木落とし坂で木落としをそれぞれ心行くまで堪能しました。

木落としでは、朝5時に長谷アルプスフォトギャラリーを発ち、岡谷ICを午前6時に出て、駐車場へ6時40分愛車を止めました。
それから約40分歩き、7時過ぎから坂を見上げる場所に陣取り、午後2時30分まで直立不動で立ち続けました。

その一瞬は、予定時刻の午後1時を大幅に過ぎた2時近く、先旗と先綱の一団が坂を下り、木遣り歌の澄んだ歌声に続き、ヨイサ、ヨイサの掛け声と、複数の行進ラッパの後でした。ハッピ姿の若者が何人も倒れ、あるいは勢いよく駆け下り、土煙が舞い上がった時…。
御柱の先頭が見えたかと思うと、あっという間に着地。
ある柱は祭人を巻き込み、ある柱は祭人を跳ね飛ばし、豪快そのもの。

大観衆はみな一様に興奮の坩堝の中へと巻き込まれたことは言うまでもありません。

帰路は、国道の道幅いっぱいに人、人、人で溢れ、それが延々と続くのでした。
40分の道程を3時間もかかって駐車場に…。

5月には、里曳き祭と建て御柱の神事があります。
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たくましく生きる者の姿を。
厳かにして優しい大自然の表情を。
山岳写真家津野祐次と長谷アルプスフォトギャラリーのスタッフが綴る信州伊那市長谷にある、長谷アルプスフォトギャラリーの日記です!

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