木曽奈良井宿のお茶壷道中絵巻を取材

お茶壷道中を取材しました


6月5日、長野県塩尻市奈良井宿場祭と木曽漆器祭に出かけた。
翌日開催される「お茶壷道中」の下見と漆器に興味があってのことだった。

臨時駐車場に指定される木曽楢川小学校に車を止め、奈良井川に沿って約2㌔歩き、平沢上町に出た。ここから木曽漆器の主要産地として名高い、伝統漆工芸店が居並ぶ
「小さなお店街」が約1.5㌔に渡って続いた。
いったん車にもどり、今度は反対側へ歩くこと約1㌔。JR中央線奈良井駅前に出て、
そこから江戸時代の道中絵巻が行われる街道を歩いた。

街道と呼ばれる主要道路の歴史は、古くは太宰府道など京都を中心に栄えたが、
中世に入って鎌倉幕府が創設されると、東海道が重要な道路となった。

江戸幕府がしかれると、今度は江戸を要に全国的な道路網の整備に着手。日光、奥州、甲州の三街道を道中とし、東海道、中山道とともに五街道とした。

五街道から派生するそれぞれの道は脇往還と呼ばれた。
明治に入ると道中、脇往還にかわって街道という呼び方が一般に広まり、
現在に至っている。

このように街道は時代と共に変革をたどるのだが、街道には往還した旅人の哀歓が往時を偲ぶ歴史的建造物にしみ込んでいる。

私は常々、街道を道という無機質な捉え方ではなく、街道の背後にある主観的な詩情を描き出したいという要求に駆られていた。

したがって新しい時代と共に、鉄道網が敷かれ、国道が改作された現代、街道の面影を残す場所は限られてくるが、そんな中、木曽街道には奈良井宿、妻籠宿、平沢宿などが旧宿場の集落保存事業によって往時の面影がわずかながら残されている。

さらに江戸時代の古きよき道中絵巻を再現する「お茶壷道中」が奈良井宿の街並集落に展開されるとあって、ぜひ一度は取材したいという希望を抱いていた。



6月6日、権兵衛峠をトンネルで越え、塩尻市楢川小学校の臨時駐車場に車を止めた。
すでに校庭のスペースは半分以上、マイカーで埋まっていた。

急坂を降り、シャトルバスに乗せてもらい奈良井駅で降車。

昨日下見したお茶壷道中の出発点、長泉寺の境内へ向かった。

籠に乗せたお茶壷は、鐘楼の前に置かれ、多くの観光客に披露されていた。

青磁の壷は薄青い光を放ち、大きさは1㍍ほど。
青年衆や学童、女学生、それに祭りを主催した男衆が三々五々、昼食を摂る人、
道中の準備をする人などで賑わっていた。

大勢のカメラマンに混じって、いろいろな場面をスナップ、
本番前のイントロショットを楽しんだ。

予定通り、正午に出発。

『シタニー、シタニー』の掛け声の旗を持った先駆けが歩を進めると、いっせいにシャッターを切る音が門前にこだました。

かぎの手、と呼ばれる道路が曲がった所で、2回目のシャッターを切り、
続いて、奈良井宿民芸会館の前で3度目のシャッターを切った。
そして道中の休憩地、鎮神社へと急いだ。

鎮神社の前には大勢のカメラマンが待ち構えていた。

石灯篭の側面に持参した梯子を架け、それに乗って上町の街並み建造物の中を
練り歩くお茶壷道中を作画。

奈良井宿を行くお茶坪道中


鎮神社で休む光景をスナップし、クライマックスの地、「木曽の大橋」へ向かった。


鎮神社で休憩


奈良井川に架かる木製の太鼓橋を往復する時代絵巻は最高の被写体といえ、
太鼓橋の撮影ポイントには、すでに数名が三脚を立てていた。

芝生に座って午後3時のスタートを待った。
私が到着して10分後、塩尻市に住むカメラマンが
『ここが最高のポイントですよ、よかったら来ませんか』
そういって、後方の丘の上へと誘ってくれた。

午後1時から待機した私の周辺には、徐々に人が増え、
午後2時を過ぎるあたりから30人ほどに膨れ上がった。


太鼓橋を渡るお茶坪道中



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Author:Alps Photo Gallery
たくましく生きる者の姿を。
厳かにして優しい大自然の表情を。
山岳写真家津野祐次と長谷アルプスフォトギャラリーのスタッフが綴る信州伊那市長谷にある、長谷アルプスフォトギャラリーの日記です!

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