寝覚ノ床と浦島太郎の説話
国の史跡名勝天然記念物に指定される寝覚ノ床は、木曽川の激流が花崗岩の岩盤を悠久の歳月を経て、侵食した奇岩絶景…。
岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方状摂理や、ポットホール(水流が岩盤にあけた丸い穴)は、わが国の代表的なものといわれます。
俳人・正岡子規は
「誠やここは天然の庭園にて……仙人の住処とも覚えて尊し」
と詠ったほどです。
また、風光明媚な地だからこそ寝覚ノ床は、古くから浦島太郎の伝説の舞台となったのでしょう。
竜宮城からもどった太郎は、諸国を回り、その途上に立ち寄った寝覚の里の美しさに惹かれ、ここに住むようになったといわれます。
ある日、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けたところ、中から出てきた煙に巻かれ、たちどころに三百歳の老人になったと伝わります。
浦島太郎を奉る浦島堂は、いまも岩上の松の間に建っています。
この伝説の竜宮城は、岐阜県坂下に架かる木曽川橋右岸の淵の中を指すらしく、以前、木曽川を見下ろす坂下の高台から撮影していたとき、地元のご老人から聞いたことを思い出します。
『わしら、子供の頃はよく橋の下の淵で泳いだもんさ…。』
『ホラ、橋の向こうに岩場が見えるだろ!あの岩から飛び込んだのさ。』
『浦島太郎が乙姫に連れられ、あの淵の中の竜宮城へ行ったさ。』
ご老人の言葉には、説得力があり、妙に納得したものです。

写真を撮影した背後に浦島堂が建つ
浦島太郎の話は誰でも知っている昔話で、絵本にも登場します。
「日本書紀(雄略天皇22年の条)」、「万葉集」、「丹後風土記」などにも記され、それ以前は伊預部馬養の作となる「浦島子伝」が存在したようです。
平安時代には漢文化され、和歌や源氏物語(夕霧)などに浦島の玉厘に対する心地が詠まれたり、利用されました。
中世に入っては、「古事談」などに記載され、御伽草子の「浦島太郎」となって、謡曲「浦島」へと発展します。
御伽草子23篇のひとつ「浦島太郎」は、室町時代の作となります。
内容は、奈良時代からこの御伽草子に至るまではほぼ同じです。
それによると、丹後の国(京都府)水江に住む「浦島子」という男(御伽草子からは浦島太郎と名乗る)が、船に乗って釣りをしていると大亀が釣れ、船中で仮眠している間に、亀は女性の姿に化身します。
浦島子はその女性の言葉に従い、蓬莱宮(竜宮)に赴いて大いに歓待され、夫婦の契りを結ぶことになります。
それから3年を経て、太郎は父母を思い望郷の念にいたたまれず、しばらく帰郷したいと申し出ます。
亀姫は、再会を期するなら決してあけてはならないと、玉厘(後には玉手箱)を与えて別れました。
しかし蓬莱宮で3年と思っていた歳月は、なんと300年を経ていたのです。
太郎は故郷へもどりましたが、すでに300年という長い歳月が経っていたので、太郎を知る人もなく、とうとう亀姫の言葉を忘れて玉厘をあけてしまいます。
すると、たちどころに太郎の体が風と雲とを率いて飛び去ってしまい、2度と亀姫に会えなくなったという物語です。
ただし、近世に入ると、最初のくだりに変化が出ます。
子供にいじめられている亀を助けた話へと変わります。
これらは、動物報恩、動物愛護、竜宮行、あけてはならない禁を犯す罰などが主な題材となって、全国的に普及していったのでしょう。
こうして浦島太郎の話は全国に伝わるばかりか、類似した説話は太平洋諸島にも伝承されています。
国内各地の浦島伝説は部分的に異なる話に発展しますが、骨格は同義といえましょう。
参考文献/坂口保著「浦島説話の研究」(1955年新光社刊)
岩盤に見られる水平方向と垂直方向に発達した方状摂理や、ポットホール(水流が岩盤にあけた丸い穴)は、わが国の代表的なものといわれます。
俳人・正岡子規は
「誠やここは天然の庭園にて……仙人の住処とも覚えて尊し」
と詠ったほどです。
また、風光明媚な地だからこそ寝覚ノ床は、古くから浦島太郎の伝説の舞台となったのでしょう。
竜宮城からもどった太郎は、諸国を回り、その途上に立ち寄った寝覚の里の美しさに惹かれ、ここに住むようになったといわれます。
ある日、昔を思い出して岩の上で玉手箱を開けたところ、中から出てきた煙に巻かれ、たちどころに三百歳の老人になったと伝わります。
浦島太郎を奉る浦島堂は、いまも岩上の松の間に建っています。
この伝説の竜宮城は、岐阜県坂下に架かる木曽川橋右岸の淵の中を指すらしく、以前、木曽川を見下ろす坂下の高台から撮影していたとき、地元のご老人から聞いたことを思い出します。
『わしら、子供の頃はよく橋の下の淵で泳いだもんさ…。』
『ホラ、橋の向こうに岩場が見えるだろ!あの岩から飛び込んだのさ。』
『浦島太郎が乙姫に連れられ、あの淵の中の竜宮城へ行ったさ。』
ご老人の言葉には、説得力があり、妙に納得したものです。

写真を撮影した背後に浦島堂が建つ
浦島太郎の話は誰でも知っている昔話で、絵本にも登場します。
「日本書紀(雄略天皇22年の条)」、「万葉集」、「丹後風土記」などにも記され、それ以前は伊預部馬養の作となる「浦島子伝」が存在したようです。
平安時代には漢文化され、和歌や源氏物語(夕霧)などに浦島の玉厘に対する心地が詠まれたり、利用されました。
中世に入っては、「古事談」などに記載され、御伽草子の「浦島太郎」となって、謡曲「浦島」へと発展します。
御伽草子23篇のひとつ「浦島太郎」は、室町時代の作となります。
内容は、奈良時代からこの御伽草子に至るまではほぼ同じです。
それによると、丹後の国(京都府)水江に住む「浦島子」という男(御伽草子からは浦島太郎と名乗る)が、船に乗って釣りをしていると大亀が釣れ、船中で仮眠している間に、亀は女性の姿に化身します。
浦島子はその女性の言葉に従い、蓬莱宮(竜宮)に赴いて大いに歓待され、夫婦の契りを結ぶことになります。
それから3年を経て、太郎は父母を思い望郷の念にいたたまれず、しばらく帰郷したいと申し出ます。
亀姫は、再会を期するなら決してあけてはならないと、玉厘(後には玉手箱)を与えて別れました。
しかし蓬莱宮で3年と思っていた歳月は、なんと300年を経ていたのです。
太郎は故郷へもどりましたが、すでに300年という長い歳月が経っていたので、太郎を知る人もなく、とうとう亀姫の言葉を忘れて玉厘をあけてしまいます。
すると、たちどころに太郎の体が風と雲とを率いて飛び去ってしまい、2度と亀姫に会えなくなったという物語です。
ただし、近世に入ると、最初のくだりに変化が出ます。
子供にいじめられている亀を助けた話へと変わります。
これらは、動物報恩、動物愛護、竜宮行、あけてはならない禁を犯す罰などが主な題材となって、全国的に普及していったのでしょう。
こうして浦島太郎の話は全国に伝わるばかりか、類似した説話は太平洋諸島にも伝承されています。
国内各地の浦島伝説は部分的に異なる話に発展しますが、骨格は同義といえましょう。
参考文献/坂口保著「浦島説話の研究」(1955年新光社刊)
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