ギャラリー便り・№18
晩秋の大鹿村を撮影しました
2010年11月16日
松川町の部奈地区を取材した後、大鹿村へと向いました。
小渋川の右岸に沿って整備が行き届いた車道を進み、小渋ダム湖の北側を暖かな陽光に照らされながら愛車を走らせました。
長いトンネルに続き、さらにふたつのトンネルを抜け、国道152号線の分岐に出ました。
南方は大河原地区、北方は鹿塩地区。ここは南へと入り上蔵集落を目指す。
目的の福徳寺に到着し、まず重要文化財に指定される本堂に参拝。
本堂は1160年建立、平安時代末期創建と伝わるが、昭和28年の調査で鎌倉時代のものと判明したそうです。
堂内には平安時代後期の製作といわれる薬師如来像と阿弥陀如来像が安置されています。

上蔵集落にたたずむ福徳寺本堂
四囲から福徳寺を撮影した後、信濃宮まで上がりました。
信濃宮は、「大草の宮」とも呼ばれ、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王を祭った神社、神域にふさわしい雰囲気の中に鎮座していました。
信濃宮からは分岐まで引き返し、小渋川を渡って下青木薬師堂に到着。
この堂は、本尊である大日如来と薬師如来を守護する、十二神将と呼ばれる12体の木像が壮観いわれてます。

下青木薬師堂
薬師様に参拝した後、松下家を訪ねました。
昭和42年、重要文化財に指定された重厚な建造物は、江戸時代末期の建築といわれます。
玄関入り口に菊の花が、南側に真っ赤な紅葉のモミジが迎えてくれました。
ふたたび分岐までもどり、大西公園へと上がりました。
小渋川と南アルプスの盟主・赤石岳を眺望する高台に立ち、新雪抱く赤石岳の上空に造形的な雲が次々と湧き上がり、30分ほど作画を楽しみました。

大西公園から望む赤石岳と造形雲
午後4時にもなると、さすが山里の晩秋は陽の入りは早く山のかなたへと沈みました。
後日、ふたたび大鹿村を訪れることを誓って帰路に着きました。
2010年11月16日
松川町の部奈地区を取材した後、大鹿村へと向いました。
小渋川の右岸に沿って整備が行き届いた車道を進み、小渋ダム湖の北側を暖かな陽光に照らされながら愛車を走らせました。
長いトンネルに続き、さらにふたつのトンネルを抜け、国道152号線の分岐に出ました。
南方は大河原地区、北方は鹿塩地区。ここは南へと入り上蔵集落を目指す。
目的の福徳寺に到着し、まず重要文化財に指定される本堂に参拝。
本堂は1160年建立、平安時代末期創建と伝わるが、昭和28年の調査で鎌倉時代のものと判明したそうです。
堂内には平安時代後期の製作といわれる薬師如来像と阿弥陀如来像が安置されています。

上蔵集落にたたずむ福徳寺本堂
四囲から福徳寺を撮影した後、信濃宮まで上がりました。
信濃宮は、「大草の宮」とも呼ばれ、後醍醐天皇の第八皇子宗良親王を祭った神社、神域にふさわしい雰囲気の中に鎮座していました。
信濃宮からは分岐まで引き返し、小渋川を渡って下青木薬師堂に到着。
この堂は、本尊である大日如来と薬師如来を守護する、十二神将と呼ばれる12体の木像が壮観いわれてます。

下青木薬師堂
薬師様に参拝した後、松下家を訪ねました。
昭和42年、重要文化財に指定された重厚な建造物は、江戸時代末期の建築といわれます。
玄関入り口に菊の花が、南側に真っ赤な紅葉のモミジが迎えてくれました。
ふたたび分岐までもどり、大西公園へと上がりました。
小渋川と南アルプスの盟主・赤石岳を眺望する高台に立ち、新雪抱く赤石岳の上空に造形的な雲が次々と湧き上がり、30分ほど作画を楽しみました。

大西公園から望む赤石岳と造形雲
午後4時にもなると、さすが山里の晩秋は陽の入りは早く山のかなたへと沈みました。
後日、ふたたび大鹿村を訪れることを誓って帰路に着きました。
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