ギャラリー便り№20
今秋3度目、晩秋の大鹿村を撮影しました
2010年11月下旬
今秋一番の冷え込みとなった朝、大鹿村へと向いました。
天候は雲ひとつない快晴。
長谷から中沢峠を越え、駒ヶ根市中沢から折草峠をさらに越えて、中川村の旧四徳集落を下って、小渋川沿いに大鹿村へと順調に到着しました。
まずは、国の重要文化財に指定される長野県最古の建造物・福徳寺の本堂に参拝。
のどかな山間の上蔵集落を散策しました。
紅葉が鮮やかな木立と民家の土蔵を作画。

続いて白菜畑と福徳寺を捉えました。

ふたたび車に乗って、釜沢集落へと上がり宇佐八幡神社に参拝しました。
境内には、宝篋印塔が建っていました。
解説によると室町時代初期の建立。宗良親王の墓標塔として祀られています。

そこからは引き返し、上蔵集落の香坂高宗氏の墓跡を訪ねました。
墓所跡は、大河原城跡を見下ろす高台の一角に、
古木の松と巨大杉の間に佇んでいました。

香坂高宗氏は、南北朝時代に大河原城主として征夷大将軍信濃宮宗良親王に忠誠を尽くした人物として、その功績が語り継がれています。
昼食をはさんで、午後は鹿塩地区へ向い、まずは大鹿歌舞伎の舞台として著名な、塩河集落にある市場神社に詣でました。
大鹿歌舞伎は、農村歌舞伎として、全国初の国選択無形民族文化財に指定された由緒正しい歌舞伎です。
1767年に大鹿村の村人によって上演され、現在まで脈々と受け継がれ、海外の公演も行われるほど有名になりました。
この神社の上演は毎年10月第3日曜日に開催されるそうです。

鹿塩地区を山奥へと進み、入沢井集落まで上がりました。
ここには辻堂と樹齢約900年に及ぶイチョウの巨木が立っています。
若き弘法大師が全国行脚の際、この辻堂に立ち寄り、日暮れまで読経に励み、刺して置いた杖を抜こうとしたけれど、どうしても抜けずに立ち去ってしまったそうです。
その杖はやがて根を張り、四囲に伸びる枝は地面に向って幾つもの房を持つ大木へと育ったという伝承です。
その樹形から逆さイチョウと呼ばれています。

鹿塩へと往路をたどる途中、葦原神社の舞台を見、塩泉と呼ばれる海水と同等の濃度を持つ塩の泉を見学し、帰路につきました。
2010年11月下旬
今秋一番の冷え込みとなった朝、大鹿村へと向いました。
天候は雲ひとつない快晴。
長谷から中沢峠を越え、駒ヶ根市中沢から折草峠をさらに越えて、中川村の旧四徳集落を下って、小渋川沿いに大鹿村へと順調に到着しました。
まずは、国の重要文化財に指定される長野県最古の建造物・福徳寺の本堂に参拝。
のどかな山間の上蔵集落を散策しました。
紅葉が鮮やかな木立と民家の土蔵を作画。

続いて白菜畑と福徳寺を捉えました。

ふたたび車に乗って、釜沢集落へと上がり宇佐八幡神社に参拝しました。
境内には、宝篋印塔が建っていました。
解説によると室町時代初期の建立。宗良親王の墓標塔として祀られています。

そこからは引き返し、上蔵集落の香坂高宗氏の墓跡を訪ねました。
墓所跡は、大河原城跡を見下ろす高台の一角に、
古木の松と巨大杉の間に佇んでいました。

香坂高宗氏は、南北朝時代に大河原城主として征夷大将軍信濃宮宗良親王に忠誠を尽くした人物として、その功績が語り継がれています。
昼食をはさんで、午後は鹿塩地区へ向い、まずは大鹿歌舞伎の舞台として著名な、塩河集落にある市場神社に詣でました。
大鹿歌舞伎は、農村歌舞伎として、全国初の国選択無形民族文化財に指定された由緒正しい歌舞伎です。
1767年に大鹿村の村人によって上演され、現在まで脈々と受け継がれ、海外の公演も行われるほど有名になりました。
この神社の上演は毎年10月第3日曜日に開催されるそうです。

鹿塩地区を山奥へと進み、入沢井集落まで上がりました。
ここには辻堂と樹齢約900年に及ぶイチョウの巨木が立っています。
若き弘法大師が全国行脚の際、この辻堂に立ち寄り、日暮れまで読経に励み、刺して置いた杖を抜こうとしたけれど、どうしても抜けずに立ち去ってしまったそうです。
その杖はやがて根を張り、四囲に伸びる枝は地面に向って幾つもの房を持つ大木へと育ったという伝承です。
その樹形から逆さイチョウと呼ばれています。

鹿塩へと往路をたどる途中、葦原神社の舞台を見、塩泉と呼ばれる海水と同等の濃度を持つ塩の泉を見学し、帰路につきました。
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